イタリアの歴史をわかりやすく解説|統一国家の誕生は実は160年前?!

目を閉じて、イタリアの街並みをイメージすると…そこには古く歴史的な建物が並び、趣きのある雰囲気を感じられるのではないでしょうか。このイメージが強いイタリア。とっても歴史の長い国に見えるのですが、実はそうではありません。“統一国家”としては、アメリカよりも歴史が浅いってご存知でしたでしょうか?

国家統一が実現し、イタリア王国が誕生したのは1861年。今から約160年前のことです。あの歴史的なイメージの強いイタリアが、160年の歴史しかない、と聞くとちょっと驚きですよね。

イタリアは「歴史が浅い国」?統一までのあゆみ

イタリア地図

実際、イタリアの歴史はかなり複雑です。イタリアという統一国家が出来上がったのは、実際に約160年前のことではありますが、ただそれ以前にあのブーツ型のイタリア半島には長い、混乱もくぐり抜けた歴史があります。ここで全てを詳細に書ききれるほどの簡単な歴史ではありませんが、まずはイタリア半島の歴史をかいつまんで、イタリアという統一国家がどうやって出来上がったのか、お伝えできればと思います。

旧石器時代から人が暮らしたイタリア半島

旧石器時代まで遡りますが、イタリア半島には、その時すでに人が生活していたであろうと言われています。ナポリの南東部に位置する“マテーラの洞窟住居”から、旧石器時代に人が住んでいたであろうことを裏付ける物が発見されているようです。
ただ、その後の紀元前8世紀ごろまでのイタリア半島の様子については、あまり詳しいことがわかってはいません。

 

古代ローマの歴史|建国神話から地中海の覇者へ

オオカミに育てられたロムルスとレムス|ローマ建国神話

オオカミの乳を吸うロムルスとレムス|カピトリーノの雌狼像(ローマ建国神話)
オオカミの乳を吸うロムルスとレムス「カピトリーノの雌狼像」(ローマ)

ローマ建国神話でも有名な話ですが、紀元前753年、オオカミに育てられたと言われているロムルスとレムスがローマを建国しました。この有名なオオカミの乳を吸うロムルスとレムスの像は現在ローマにあります。
このローマの地から、初代王であったと言われているロムルスによって、ローマ国が作られ、歴史が始まっていきます。この時はもちろんまだ“イタリア“という名前も登場してきていません。

共和政ローマの誕生と地中海への拡大

その後、紀元前509年からは、王政ではなく共和政ローマが誕生しました。当時の共和政には二つの統治組織が存在したと言われています。一つは「パトリキ」と呼ばれる貴族の有力者や政治家たちによって形成された組織、もう一つは「プレブス」と呼ばれる富裕な市民が中心となって運営される市民集会があったとされています。貴族と平民は衝突もありつつも、何とかうまく折り合いをつけ、国を動かしていました。
紀元前3世紀頃には、ギリシャやマケドニア、カルタゴなども勢力を拡大してきたことで、各地で衝突が発生していきました。このような状況の中でローマはイタリア半島のほぼ全域にまで領地を広げていき、ついには地中海全体に勢力を伸ばしていったのです。

カエサルからアウグストゥスへ|ローマ帝国の始まり

さて、力をつけ、順調に見えるローマですが、国内では内乱が多発し、混乱も多くありました。これを乗り切る救世主となったのが、軍人であり政治家でもあったカエサルでした。最終的には、共和政政治の支持者たちに暗殺されてしまうのですが、この時期から、ローマは王政・帝政政治の方向へと進んでいきます。
そして紀元前27年、カエサルの養子であるオクタウィアヌスが、アウグストゥス(皇帝の称号)になりました。ここから、ローマ帝国の歴史が始まっていきます。

コロッセオ建設とローマ帝国の最盛期

ローマの円形闘技場コロッセオ
紀元後80年に完成した円形闘技場コロッセオ(ローマ)

ちなみに、紀元後80年に現在ではローマの有名な観光地となっているコロッセオが建設されました。ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場です。
100年頃はローマの最盛期で、イギリス・スペイン・エジプト・メソポタミアに広がる大帝国へと成長していきました。そして、シルクロードと海の道で、中国とも繋がりを作っていきます。

 

キリスト教の国教化とローマ帝国の分裂

キリスト教の浸透とサン・ピエトロ大聖堂の起源

カトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン)
サン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン)

その後、3世紀ごろになると、ローマにキリスト教が伝わり始めました。何かを広める時には反発や弾圧はつきものですが、次第にキリスト教はローマに浸透していき、のちの380年には国教となりました。
326年には、殉教者記念教会堂が設立されました。この地には後にご存知のサン・ピエトロ大聖堂が建てられ、やがてローマはカトリック教会の本拠地となりました。

東西分裂と西ローマ帝国の滅亡

さて、ローマ内の内乱などは度々発生して、混乱が収まることはありませんでした。そのため、当時の皇帝は4人の皇帝によって、国を統治していく“分割統治”を開始しました。しかし、文化が異なる範囲にまで領土が大きくなったことで、統治が上手くいかず、結局その後、ローマは東西に分裂することになってしまいます。
4世紀頃のヨーロッパ大陸では、ゲルマン民族の大移動があり、イタリア半島においてもこのゲルマン勢力が拡大したことで、なんとここまで勢力を広げてきたローマでしたが、ついにイタリア半島から西ローマ帝国が消滅してしまいます。
東ローマ帝国は、現在のトルコのイスタンブール周辺を拠点として、1453年まで存続していましたが、イタリア半島以外の所に、「ローマ」という名の帝国があったことになります。
その後はいわゆる日本の戦国時代のように、領地を取った取り返したの混乱が続き、小国が出来ては消えるという時代が続いていきます。

 

ルネサンス|フィレンツェから花開いたイタリア文化

ルネサンスを代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの像
ルネサンスを代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの像

さて、14世紀から16世紀、現在のイタリアの芸術的文化が形成されたルネサンス時代を迎えます。イタリア半島は分裂したままではあったものの、ローマやフィレンツェなどを中心として、美術や文学などが栄え、美しい文化が生まれていきました。
やはりその中心となったのは、フィレンツェと言えるでしょう。ここから、レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロなどが誕生していきました。
こういった現代に続くイタリア文化は、統一国家になる前に形成され、今の時代に続くまで継承されているのですね。

 

イタリア戦争とナポレオン時代|分裂が続いた半島

フランスとスペインが争ったイタリア戦争

さて、ここでいよいよフランスやスペインなどの大国が現れ、ヨーロッパ圏で大きな力を持つようになってきました。イタリア戦争の始まりです。1494年、フランス王シャルル8世が、当時南イタリアにあったナポリ王国を侵略し、その後何度も、フランスとスペインがイタリア半島に攻撃をしかけ、戦争が繰り広げられました。

ナポレオンの侵入とイタリア半島の再編

その後も、戦争が繰り返され、さらには経済的にも混乱が続くイタリア半島。18世紀になると、北イタリアで勢力を持ち始めていたサヴォイア公国がサルデーニャ王国を建国しました。時同じくして、フランス軍の将軍、あの有名なナポレオンがここで登場します。ナポレオンは1796年にイタリアに侵入し、軍をどんどんとイタリア内に進めていきました。そして、最終的にミラノを中心としてイタリア共和国を建国しました。これによって改めてイタリア王国となり、結果イタリア半島はひとつにまとまることとなりました。

しかし、その歴史も長くは続かず、ナポレオン率いるフランス軍がオーストリアに敗れると、イタリア半島は再び分裂。結局、オーストリアの支配下に置かれることとなりました。

 

イタリア統一への道|1861年イタリア王国の誕生

さて、ようやくここで、統一の動きが始まります!
オーストリアの支配下となってしまったことを受け、この後のイタリア統一のキーマンとなったのが、サルデーニャ王国です。フランスの支援を受けつつ、オーストリアと戦争を行うのです。これが、イタリア統一戦争です。
この戦いの後、ついに1861年、イタリア王国が誕生しました。このイタリア王国の首都がおかれたのは、トリノでした。
いよいよイタリア半島はひとつにまとまり、イタリアが統一国家となったのです。この時の首都がローマに決まり、現在に至ります。

かなり割愛した歴史の部分がありましたが、何とかイタリア統一までたどり着きました…!この後も世界大戦があったりという歴史があって、現在に至るわけですが、イタリアという国が統一されるまでの歴史はとても長いものがあって、そして混乱があって、ようやくたどり着いたものであることが分かります。
歴史が浅い、とは言っても、ローマ帝国からスタートしているイタリア半島という場所は、長い歴史があり、そして素晴らしい文化が凝縮されている場所なのだなと改めて感じました。

 

イタリアの余韻を、食卓へ

古代ローマからルネサンス、そして統一へ。長い歳月をかけて重ねられてきたイタリアの歴史は、そのまま各地の食文化にも息づいています。歴史の物語に心を動かされた方は、ぜひご家庭の食卓からもイタリアの奥行きに触れてみてください。
イタリア食材ベリッシモでは、各地の風土と作り手の想いが感じられる品をご紹介しています。