絵画に見るシエナ対フィレンツェ

【宗教画:6】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

※カバーの絵:『受胎告知の天使を遣わす神』Giotto di Bondone

ヴィアフランチェジナを巡る旅、今回はシエナに注目してみましょう。
シエナはフィレンツェから快速バスにのり1時間ほどで着く古都で、歴史地区は1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
赤いレンガの街並みが大変美しく、特にカンポ広場は緩やかなスロープを描きながら扇型に設計されており、世界一美しい広場と言われています。豊かな自然と美しい街並みが共存する穏やかなこの街は、フィレンツェと並ぶトスカーナの観光都市として多くの人が訪れます。

中世より毛織物業や金融業で栄えたフィレンツェと、農業と交易で繁栄し、フランチェジナ街道の要所に位置したことで経済的な地位を確立したシエナ、この2つの都市はいまではトスカーナの観光都市として互いにそれぞれの個性を活かしつつ共存していますが、過去には長らく対立関係にあり、領土や影響力を巡って争ってきた歴史があります。

対立の要因として、政治的な派閥の違いも上げられます。シエナは一時期神聖ローマ帝国支持派の”ギベリーニ”、フィレンツェは教皇支持派の”グエルフィ”に属していました。1260年のモンテペルティの戦いではシエナはギベリーニの支援を受け、フィレンツェに対して大勝利を収めました。この勝利によりシエナは一時的にトスカーナ地方で優位な立場となりましたが、その後の数十年でフィレンツェが勢力を回復し、シエナを圧倒していきます。
つまりは、このふたつの都市は経済的、領土的に常にライバル関係にあったのです。それは芸術の面でも同様で、この時期「フィレンツェ派」と「シエナ派」は対抗するように芸術作品を生み出してきました。

13世紀から14世紀にかけて、フィレンツェは後にルネサンスへと繋がる芸術運動の兆しを見せ始めます。写実性を重視した描写や、遠近法への試みが多くの画家の作品にみられるようになり、人物の表現はより人間味を帯びたものへと変化していきます。一方シエナ派は、伝統的な表現を守り、より神秘的で精神的な表現、そして優美で豪華な表現を好みました。

シエナ派を代表する画家に、シモーネ・マルティーニ(1284年頃~1344年)がいます。彼の代表作である「受胎告知」よりシエナ派の特徴を読み取っていきましょう。

 
シモーネ・マルティーニ と リッポ・メンミ『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』1333年ウフィツィ美術館 フィレンツェシモーネ・マルティーニ と リッポ・メンミ
『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』
1333年ウフィツィ美術館 フィレンツェ

こちらの絵は、シエナ大聖堂の祭壇画の一部として作られました。テンペラと金で制作された板絵の三連祭壇画です。幅3メートルを超える大作ですが、その背景は金箔で埋められ、豪華さには目を見張るものがあります。
特徴的なのは、マリアの表情としぐさです。突然降り立ち”重大発表”をする目の前の天使に驚き、思わず身をよじり、驚きと謙虚さの入り混じる複雑な表情を浮かべています。この感情表現の細やかさは、シエナ派の特徴である繊細な線描と色彩感覚によって描きだされています。

一方フィレンツェ派の人物描写は、精神性を重視するシエナ派とは違い、力強さや物理的な存在感が特徴です。動きやジェスチャーが物語性を強調することで、人物の感情はより明確に表現されました。
フィレンツェ派を代表する画家ジョット・ディ・ボンド―ネの、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描いた受胎告知では、マリアは手を胸の前にクロスさせ、たった今聞いた自らの身に起こる一大事を粛々と受け入れる姿で描かれています。

 
ジョット・ディ・ボンドーネ 『受胎告知』スクロヴェーニ礼拝堂 1305年 パドヴァジョット・ディ・ボンドーネ
『受胎告知』スクロヴェーニ礼拝堂 1305年 パドヴァ

また、ジョットは遠近法を用いて室内のオブジェを描きこみ、光と影の効果も活かして、より自然主義的な表現を追求しています。それはまさにこの後フィレンツェで開花するルネッサンスの萌芽とも言えます。

一方、シモーネ・マルティーニの『受胎告知』は、一目瞭然ですが、平面的な構図を採用しています。金地の背景は、空間としての詳細ではなく、聖なる場として表現されています。これもまた、神秘的で精神的な表現、そして豪華さ、優美さを良しとするシエナ派らしいと言えるでしょう。

そんな「シエナ派らしい」シモーネ・マルティーニの《受胎告知》ですが、ここで大天使ガブリエルの衣服に注目してみましょう。まずは「まさに今そこに降り立った」というようにふわりと広がるマントですが、タータンチェックの柄が印象的です。画像ではわかりづらいですが、洋服全体には唐草模様が施され、金の袖飾りも存在感があります。当時のフィレンツェ、シエナの両都市で、毛織物産業が盛んであったことは、この緻密な衣服の表現と無縁ではないでしょう。また、多くの場合大天使ガブリエルはユリを手にしているものですが、こちらではユリは画面後方の花瓶に生けられ、その代わりに手にはオリーブの枝を持っています。なぜユリではなくオリーブだったのか。何を隠そう、ユリはフィレンツェのシンボルなのです。対立しているシエナとしては、ユリを手に持たせたくなかったのではないでしょうか。

15世紀後半、フィレンツェはシエナを完全に制圧し、シエナはその後フィレンツェの支配下に組み込まれることとなります。これにより両国の長い対立の歴史は終わりました。しかしながら、二つの都市の文化が競い合うようにして発展していったことを思うと、長い対立は芸術的側面から見ても重要な出来事なのです。シモーネ・マルティーニの《受胎告知》は、フィレンツェのウフィッツィ美術館で今日もなお「シエナ万歳!」と叫んでいるのです。

文責/アドマーニ