ロレンツォ・ロット《ロザリオの聖母》|聖母の絵に隠された工夫

 

ロレンツォ・ロットという画家をご存じでしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ、そしてヴェネツィアのティツィアーノといった巨匠たちが活躍した、イタリア・ルネサンスの時代。そんな華やかな時代に、独自の道を歩んだ画家です。

 

ヴェネツィアに生まれ、イタリア各地を旅した画家

ロレンツォ・ロットは1480年頃、ヴェネツィアに生まれました。彼の修行時代については多くのことがわかっていませんが、ジョヴァンニ・ベッリーニら、ヴェネツィアの画家たちの影響を受けて腕を磨いたと言われています。

しかし、ロットは早くからヴェネツィアを離れ、トレヴィーゾやベルガモ、ローマ、マルケ地方など、イタリア各地を行き来しながら制作を続けました。特にベルガモでは10年以上にわたり滞在し、多くの重要な作品を残しています。その後も各地で制作を続け、晩年にはマルケ州のロレートの修道院に身を寄せ、1557年頃に亡くなりました。

 

ちょっと変わった《受胎告知》

ロレンツォ・ロット《受胎告知》驚いてこちらを振り向く聖母マリアと大天使ガブリエル、走り出す猫
ロレンツォ・ロット《受胎告知》
1534年頃 レカナーティ市立美術館

こうした生涯もあってか、ロットの作品には、当時の主流だったルネサンス絵画とは少し違う、独特の表現が見られます。鮮やかな色彩、印象的な人物の仕草、そして時に鑑賞者を驚かせるような大胆な画面構成…。

例えば彼の代表作《受胎告知》を見ると、その個性は一目瞭然です。「受胎告知」とは、大天使ガブリエルが聖母マリアのもとを訪れ、マリアが神の子イエスを身ごもることを告げる、キリスト教美術ではおなじみの場面です。多くの絵画では、2人が向き合い、ガブリエルは厳粛な面持ちでマリアを見つめ、当のマリアは戸惑いながらも静かに現実を受け止める…といった風に描かれます。

ところが、ロットの《受胎告知》では、マリアは天使のほうではなく、鑑賞者のほうを向き、思わず逃げ出してしまいそうなほどの驚いた表情と仕草を見せています。画面の右側には、そんなマリアを制するかのように勢いよく手を伸ばす天使。さらに、足元では猫まで驚いて走り出しています。そう、ロットの《受胎告知》は、言わば非常に「現実的」な作品なのです。聖なる出来事を描いた宗教画でありながら、どこか日常の一場面をのぞき見ているような、不思議な臨場感があります。

そんなロットの「ちょっと変わった」魅力を、もう一つの作品から見てみましょう。

 

薔薇の生垣とロザリオの祈り

ロレンツォ・ロット《ロザリオの聖母》薔薇の生垣に15の円形画が並び、聖母が聖ドミニコにロザリオを手渡す祭壇画
ロレンツォ・ロット《ロザリオの聖母》
1539年
チンゴリ、パラッツォ・コムナーレ(市庁舎)

マルケ州チンゴリに残る《ロザリオの聖母》です。描かれているのは、幼子イエスを抱いた聖母マリア。そして、その前には聖ドミニコをはじめとする聖人たちが並んでいます。

興味深いのは、画面の上部です。聖母子の背後には薔薇の生垣が広がり、その中に15個の小さな円形画が並んでいます。それぞれの円には、キリストと聖母にまつわる出来事が描かれています。

この独特な構図を理解するヒントは、「ロザリオ」にあります。

ロザリオとは、カトリックの信者が祈りを唱える際に用いる、珠が数珠のようにつながった祈りの道具です。信者は珠を一つずつ繰りながら祈りを唱え、キリストと聖母マリアにまつわる出来事を思い起こし、黙想します。伝統的なロザリオの祈りでは、こうした出来事を15の場面(15の神秘)に分けて黙想します。ロザリオの祈りはドミニコ会と深い関わりがあり、伝承によれば、聖ドミニコは聖母マリアからロザリオを授けられたとされています。

この絵でも、聖母マリアが聖ドミニコにロザリオを手渡しています。そして、背景に並ぶ15個の円形画は、祈りの中で思い起こす出来事を表しているのです。

16世紀初頭ネーデルラントの祭壇画《15の神秘とロザリオの聖母》15の小画面と薔薇の花輪に囲まれた聖母子
作者不詳《15の神秘とロザリオの聖母》
1515~1520年頃
メトロポリタン美術館

ロザリオの15の神秘を小さな絵で表した作品は、ほかにも見ることができます。例えば、16世紀初頭のネーデルラントで描かれた《15の神秘とロザリオの聖母》では、15の場面が画面上部に独立した小画面として並び、その下には、大きな薔薇の花輪に囲まれた聖母子が描かれています。

それに対してロットは、15個の円形画を薔薇の生垣の中に組み込んでいます。祈りにまつわる場面を並べるだけでなく、それらを背景の風景と一体化させているのです。同じロザリオをテーマにしながらも、構図に独自の工夫を凝らしたところに、ロットならではの発想が感じられます。

ちなみに、「ロザリオ」という言葉は、ラテン語で「バラ園」や「バラの花輪」を意味する rosarium に由来します。聖母マリアに捧げる祈りと薔薇には、こうした象徴的なつながりがあるのです。そう考えると、ロットが背景に薔薇の生垣を描いたことにも、いっそう意味深いものを感じます。

 

聖なる絵にあふれる臨場感

そして、もう一つ注目したいのが、画面全体にあふれる「動き」です。

聖人たちは、それぞれ自然な仕草や、動きのあるポーズで描かれています。画面下部にいる幼い天使は、薔薇の花びらをまき散らしています。その花びらが舞い上がり、まるで画面からこちらへ飛び出してくるかのような描写には、思わず目を引きつけられます。

大胆な画面構成に、薔薇とロザリオの象徴的な結びつき、そして花びらが舞う一瞬をとらえたような臨場感。ロットは、聖なる物語を描きながら、画面全体に工夫を凝らし、そこに生きる人々の仕草や動き、表情まで生き生きと表現しています。細部に目を向けるほど、新たな発見がある。それもまた、ロットの絵画の面白さなのです。

「ロザリオ」という目に見えない祈りを、どうすれば一枚の絵として表現できるだろう?

そんなロットの工夫が、画面の隅々から伝わってくるようです。

有名な巨匠たちの陰に隠れがちなロレンツォ・ロット。

けれど、誰かと同じ道を歩むのではなく、自分だけの表現を追い求めたからこそ、500年近くたった今見ても、「なんだか面白い」と感じさせてくれる作品が生まれたのかもしれません。「なんだか面白い」のは、なぜなのか…。そんな視点で作品を眺めてみると、絵画鑑賞がもっと楽しくなるかもしれません。

 

イタリアの余韻を、食卓へ

ロットが旅したヴェネツィアやマルケの風景に思いを馳せたら、ぜひ食卓からもイタリアの豊かな文化に触れてみてください。
イタリア食材ベリッシモでは、土地の個性と作り手の息づかいが感じられる品をご紹介しています。