ヴィテルボとは?石と水が息づく「エトルリアと中世の街」

【第二十話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

石と水の街 ヴィテルボ

ヴィア・フランチジェナを巡る旅、目的地であるローマはもう間もなくですが、もう少しヴィテルボの街を楽しんでいきましょう。
13世紀に教皇庁が一時的にこの町に移動したことから「教皇の町」として有名なこの町ですが、起源をたどると、更にずっと歴史は古く、古代エトルリアの時代に行き着きます。ローマがまだ小さな村だった頃、エトルリアの人々はヴィテルボを含むこの一帯に居住し、水や石を巧みに使って暮らしていました。

 

エトルリア時代の名残|ヴィエ・カーヴェ(Vie Cave)の神秘

岩を切り開いた「古代の道」が現代に残る理由

ヴィテルボという名は「古い街(Vetus Urbs)」を意味するとも言われますが、その言葉どおり、街
のあちこちに古代からの記憶が息づいています。ヴィア・フランチジェナなど、徒歩でヴィテルボへ向かう方は、エトルリア時代のヴィエ・カーヴェ(Vie Cave)と呼ばれる洞窟道を通ることになります。ヴィエ・カーヴェとは、凝灰岩の大地を切り開いて造られた古代の道で、岩の壁に囲まれた狭い通路が何百メートルも続きます。

この道の目的については、いまも研究者たちのあいだで議論が続いています。交易のための道であったという説もあれば、岩を深く削り取った壁面に残る刻印や模様から、宗教的な意味を持つ“聖なる回廊”であったと考える人もいます。遥か紀元前、エトルリアの人々はいったいどんな思いでこの闇の道を掘り進めたのでしょうか。その目的は想像するほかありませんが、ヴィエ・カーヴェを歩けば、圧倒的な自然の息吹と、遥か古代から幾重にも折り重なる歴史の力を感じずにはいられません。

 

中世ヴィテルボの街並み|ペペリーノ石がつくる建築美

教皇の町として栄えた石の文化

そして、この「石の文化」は中世になってもヴィテルボの街づくりに受け継がれました。中世の職人たちは、この土地の石の性質を熟知し、灰色がかった凝灰岩「ペペリーノ(イタリア語で「胡椒のような」の意味)を用いて、教会や泉の装飾を生み出しました。硬すぎず柔らかすぎないその質を巧みに生かし、美しいアーチの装飾や精緻なファサードを築き上げたのです。

 

“水のヴィテルボ”が育んだ文化

名物アクアコッタと古代からの湧水の恵み

そんな“石のヴィテルボ”のもうひとつの魅力が、じつは「水」です。ヴィテルボが温泉の湧くリゾートとしても人気であることは以前にもご紹介しましたが、それだけではありません。街の中心部や郊外には、広場ごとに大小さまざまな噴水が設けられ、古くから旅人の喉を潤してきました。



そしてこの土地の水文化を象徴するのが、郷土料理の「アクアコッタ(Acquacotta)」。名前の通り“煮た水”という素朴なスープで、野菜やパン、卵を入れて煮込む農民料理として生まれました。今ではトスカーナからヴィテルボ周辺にかけて広く親しまれる名物料理であり、素材の味わいがそのまま感じられる優しい味が魅力です。

アクアコッタ

 

ヴィテルボが旅人を惹きつけ続ける理由

自然と共に生きる知恵が息づく街

エトルリアの人々が掘り進めた石の道、中世の職人たちが築いた石の街並み、そして歴史の教皇たちや、街を行く旅人たちを癒し続ける水。時代ごとに姿を変えながらも、この街の根底には“自然と共に生きる知恵”が脈々と受け継がれています。ヴァチカンまであと少し。けれど、ヴィテルボで立ち止まれば、この自然が私たちを街の歴史の一員として迎えてくれるように感じられます。歴史を辿りに来る人も、ただゆっくり過ごしたい人も、ヴィテルボではそれぞれの時間を見つけられるはず。ローマへ向かう旅の途中、この街の小さな魅力に浸ってみませんか。

文責/アドマーニ