静けさと熱気の中に息づくヴィテルボの歴史

静けさと熱気の中に息づくヴィテルボの歴史

【第十九話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

ローマへと歩みを進める巡礼者たちが、終着点にたどり着く前に出会う街があります。
終着点の70キロ手前、丘陵地帯の向こうに石造りの城壁に抱かれた小さな古都、ヴィテルボが姿を現します。城門をくぐると、そこには石畳の路地が迷路のように広がり、石造りの家々が並びます。どっしりと時を重ねた重厚な空気が、訪れる人をまるで中世へタイムスリップしたかのような気分にいざないます。

 

「教皇の街」としての栄光

ヴィテルボを語る上で欠かせないのがこの街が遠い昔「教皇の街」であったということです。というのも、13世紀のローマは混乱に包まれていた時期であり、教皇庁は一時的にこの地に移されていたためです。旧市街の中心にある「パラッツォ・デイ・パーピ(教皇の宮殿)」はその象徴。1257年から1281年の間、ローマ教皇庁はこの宮殿を拠点とし、この地には8人の教皇が滞在しました。世界で初めてコンクラーベ、つまり教皇選挙が行われた場所でもあります。コンクラーベといえば、今年5月、フランチェスコ教皇の死去に伴いヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で行われた選挙が記憶に新しいところです。しかし、1268年にヴィテルボで開かれたコンクラーベは、実に2年9か月も続いたと伝えられています。あまりにも決着がつかない状況に業を煮やした市民たちは、ついに議場に鍵をかけて枢機卿たちを閉じ込め、さらには屋根まで取り払ってしまったというのですから驚きです。
そんな教皇達が滞在したこの場所は、堂々とした要塞のような作りでありながら、美しいアーチの連なるロッジア(回廊)で装飾も施されており、優美さも兼ね備えています。
現在この建物は観光名所として公開されヴィテルボの象徴的な風景として親しまれています。

静けさと熱気の中に息づくヴィテルボの歴史

 

古代ローマから続く温泉文化

そして、忘れてはならないのが、豊かな温泉です。ヴィテルボは、古代ローマ時代から湯治場として知られ、現在も周辺には温泉施設が点在しています。なかには自然の中に湧き出す無料の露天温泉もあり、地元の人々が気軽に通う姿を目にすることができます。日本のようにたっぷりの熱いお湯に短時間つかるスタイルとは異なり、水着を着用し、比較的ぬるいお湯につかったりビーチチェアでくつろいだりしながらリゾート気分で癒しのひとときを楽しみます。そこにはゆったりとした空気が流れていますが、かつての教皇たちも同じ湯で体を休めていたのかと想像すると、歴史の重みが一層感じられます。

静けさと熱気の中に息づくヴィテルボの歴史

 

圧巻の祭り「サンタ・ローザのマッキーナ」

ヴィテルボを訪れるなら、9月初めに行われる「サンタ・ローザのマッキーナ」の時期もおすすめです。この祭りの起源は1258年、教皇アレクサンデル4世が町の守護聖人・聖ローザの遺体を現在の修道院へ移すよう命じたことにさかのぼります。
祭りの主役は、高さ30メートルを超える巨大な塔「マッキーナ」。5年ごとに新調されるこの塔には夜になると無数のライトが灯され、幻想的に輝きながら山車に据えられます。そしてそれを白い衣装をまとった百人以上の男性たちが肩に担ぎ、市内を練り歩くのです。その迫力と美しさはまさに圧巻です。ユネスコの無形文化遺産にも登録されており、日本の祭りを思わせるような熱気と一体感に包まれます。この光景を目の当たりにすれば、ヴィテルボという街がいかに強い共同体意識に支えられているかを肌で感じられるでしょう。

静けさと熱気の中に息づくヴィテルボの歴史

 

静けさと熱気の中刻まれた歴史

石畳の路地をゆっくり歩きながら、かつて教皇や聖人たちも行き交った街の空気を感じる…。ヴィテルボは、そんな時間の流れが色濃く残る町です。湯気立つ温泉に身を沈めれば、日常の疲れが溶けていくと同時に、古代ローマ時代から続く湯治場としての歴史も体感できます。静かな街並みも、ゆったりくつろぐ温泉も、ひっそりとしながらも確かな歴史の重みを湛えています。そして秋の夜には、祭りで白い衣装をまとった担ぎ手たちが巨大なマッキーナを担ぎ、群衆の熱気とともに、今度は爆発的な歴史のエネルギーに触れることもできるでしょう。ヴィテルボには、静かな時間と、ときに熱気を帯びた歴史の両方が確かに存在しているのです。

文責/アドマーニ