Orvieto

オルヴィエートで出会う、肉体と魂のフレスコ画

丘の上の町、オルヴィエートの魅力

ルカ・シニョレッリ

ヴィア・フランチジェナの終着点ローマから北に120キロ、電車で約1時間にあるオルヴィエートは人口2万人ほどの小さな街です。ティブル川を見下ろす高台に築かれたこの街は、古代エトルリア時代からの歴史を持ち、中世の風景を今もそのままにとどめています。鉄道駅からケーブルカーで旧市街へ登れば、石畳の路地や静かな広場が広がり、まるで時間が止まったかのような景色が迎えてくれます。

町のシンボル オルヴィエート大聖堂

ルカ・シニョレッリ

この静かな町の中心に立つのが、オルヴィエート大聖堂です。13世紀末に建設が始まり、16世紀になっても完成しなかったというこの大聖堂は、その歴史の中であらゆる建築家や職人達の手が加えられて完成しました。正面の外壁に施された装飾や金のモザイクは、陽の光に照らされて美しく輝き、忘れがたい印象を与えます。

 
ルカ・シニョレッリルカ・シニョレッリ《罪されし者を地獄へ追いやる天使》
1499~1505 オルヴィエート大聖堂 サン・ブリツィオ礼拝堂

この大聖堂内の「サン・ブリツィオ礼拝堂」こそが、今回の主役です。この礼拝堂には、ルネサンス期の画家ルカ・シニョレッリによる壮大なフレスコ画が描かれています。「世界の終末」をテーマに描いた一連のフレスコ画は、礼拝堂の壁や天井一面に色鮮やかに描かれ、訪れる人々を圧倒させます。中でも知られているのは地獄をテーマに描かれた1枚《罪されし者を地獄へ追いやる天使》です。この絵では天使達によって、人々が地獄に追いやられています。そして地獄へと送られた人々を悪魔達が捉えて離さず、あらゆる方法で痛めつけようとする、すさまじい光景です。

ルカ・シニョレッリの人体への探求

描いたのは、先述の画家ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli, 1450年頃 – 1523年)。彼はコルトーナの出身で、ダイナミックな線描と正確な人体表現を特色とする画家です。宗教画家として一定の信頼と評価を受けて活躍していたシニョレッリですが、特に着目すべきは彼のより劇的で力強い人体表現です。シニョレッリは人体に対して、言わば執着とも言えるような探求心を持ち合わせており、ジョルジョ・ヴァザーリの芸術家列伝によると、シニョレッリは人体の構造を深く理解するために、遺体を実際に解剖して、筋肉・骨格・関節の可動域をつぶさに観察し、それを自らのデッサンに応用していたとされています。
もうひとつ、彼の人体表現に深く関係しているとされる逸話があります。それは、彼の息子が若くして亡くなったときのことです。シニョレッリはその遺体を前に、涙を流しながらも冷静にその姿をデッサンし続けたと伝えられています。こうした観察力と技術力によって、シニョレッリは宗教的主題の枠を超えて、「人間そのものの存在感」を絵の中に刻み込んだのです。

《地獄》にシニョレッリが表現したもの

ルカ・シニョレッリ同じくサン・ブリツィオ礼拝堂の描かれた《蘇る死者》

人気の画家でありながら、人体の研究に没頭していた彼の一面を知ったところで、もう一度《罪されし者を地獄へ追いやる天使》を見てみると、人物の筋肉や骨格、重力に対する動きまで事細かに描かれ、その表現力ゆえにまるで今にも動き出しそうな生命感と躍動感に満ちていることがわかります。動きや表情がリアルだからこそ、画面全体に迫力がでて、目を覆いたくなるような生々しい《地獄》の表現へと繋がっているのですね。この作品だけではなく、彼の描く作品は一貫して肉体の放つ躍動感、すなわち生命力が表現されています。「肉体」へのアプローチは「生と死」への精神的な探求の一環であったのでしょう。

ルカ・シニョレッリミケランジェロ・ブオナロ―ティ《最後の審判》
1550年システィーナ礼拝堂 バチカン

執着と言えるほどに研究しつくされた人体と、悲痛な精神…シニョレッリの《地獄》を見ると、思い出されるのがミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の《最後の審判》です。オルヴィエートのサン・ブリツィオ礼拝堂が完成したのは1502年。ミケランジェロが、《最後の審判》に取り組むよりも30年以上前のことです。確かな記録は残っていないものの、ミケランジェロがこのオルヴィエートのルカ・シニョレッリの作品を見た可能性は高いと考えられています。実際、システィーナ礼拝堂の《最後の審判》には、浮遊する裸体の群像や劇的なポーズ、筋肉の緊張といったシニョレッリの影響が随所に見られます。ミケランジェロもまた、肉体を通して魂を描こうとした芸術家でした。その思想の原点が、このオルヴィエートの壁画にあったとしても不思議ではありません。

オルヴィエートという町は、芸術に触れるには最適な丘の上の小さなこの街。観光客で混み合う大都市とは違い、静かな時間のなかで作品と向き合うことができます。そして大聖堂のサン・ブリツィオ礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が変わるのを感じるはずです。描かれた人々には動きがあり、力があり、魂があります。それらは間違いなくシニョレッリの「生と死」、「肉体」への執着によって生まれたもので、この礼拝堂に立つと、私たちはきっと500年前にミケランジェロが感じたのと同じ感動を味わうことができるのです。

文責/アドマーニ