
システィーナ礼拝堂 ~巡礼の終着点で出会う「創造」と「終末」~
【第二十一話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~
巡礼の終着点、ヴァチカンとシスティーナ礼拝堂
ヴィア・フランチジェナを巡る旅はいよいよ、目的地であるローマ、ヴァチカンに辿り着きます。ヴァチカンには今日も世界中から巡礼者や観光客が集まり、信仰と歴史、そして芸術が重なり合うこの小さな国を埋め尽くしています。大勢の来訪者は、ヴァチカンの中心である聖ペテロ大聖堂はもちろんのこと、その奥にある世界一有名な礼拝堂とも言える「システィーナ礼拝堂」を目指すのです。礼拝堂の内部は、ミケランジェロの壁画で覆われ、天井には《創世記》、そして正面の壁には《最後の審判》が描かれています。つまりここには、人間の「始まり」と「終わり」が同じ空間の中に描かれているのです。長い道のりを歩いてきた巡礼者にとって、この場所は旅のゴール、信仰の終着点であると同時に、自分自身の人生を振り返る場でもありました。
「創造」と「終末」――二つの絵が語るもの
《創世記》が描かれたのは1508年から1512年にかけてのことです。人物の身体は力強く誇張され、「ミケランジェロならでは」といった風ですが、全体の構成には整った秩序が保たれています。神が世界を計画的に創り、人間がその中心に置かれるという考え方は、当時のルネサンスの理想をよく表しています。人間の理性や可能性が信じられていた時代の空気が、そこには流れているようです。
システィーナ礼拝堂 ヴァチカン
一方、《最後の審判》が描かれたのは、そのおよそ25年後。同じ作者の作品とは思えないほど、画面の印象は大きく異なります。はっきりとした空間の区切りはなく、人物たちは宙に浮かぶように配置され、全体が激しく渦を巻いて動いているように見えます。落ち着きや安定感よりも、強い緊張感が前面に出ているのです。
システィーナ礼拝堂 ヴァチカン
不安の時代とミケランジェロの問い
それまでの「最後の審判」の絵は、善人は天国へ、罪人は地獄へと、行き先が一目で分かる構成が一般的でした。例えばジョットの《最後の審判》では、画面は秩序正しく整理され、見る人に善悪の基準を分かりやすく示していました。盛期ルネサンスの画家たちもまた、神の世界を調和のとれた理性的な空間として描いています。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 フィレンツェ
しかし、ミケランジェロの《最後の審判》には、そうした分かりやすさはありません。天国と地獄の境目は曖昧で、ある者は救われ、ある者は落ちていきます。この変化は、美術史では「盛期ルネサンスからマニエリスムへの移行」と説明されます。マニエリスムとは、整った美しさよりも、不安や緊張など強い感情を表現しようとする傾向のことです。《最後の審判》に見られるねじれた身体や激しい動きは、その代表的な特徴だと言えるでしょう。
こうした表現の背景には、16世紀ヨーロッパの不安定な時代状況があります。宗教改革によって、これまで当たり前とされてきた信仰の形が揺らぎ、人々は救いとは何か、信じるとはどういうことかを改めて考えざるを得なくなりました。その不安は、ミケランジェロ自身の中にもありました。《最後の審判》を描いた頃、彼はすでに高齢で、多くの友人や同時代の芸術家を見送り、自身の死も強く意識していました。
そのためでしょうか。ミケランジェロは自身の自画像をこの最後の審判に描き入れています。キリストの右下、自身の生皮を持つ聖バルトロマイが描かれていますが、あろうことかこの生皮はミケランジェロの自画像であるとされているのです。
中央に描かれたキリストも、優しく人々を迎え入れる存在ではありません。引き締まった身体と厳しい動作で、絶対的な裁きを下す存在として描かれています。その隣で聖母マリアが一歩身を引いている姿も、もはや取りなしの時が終わったことを静かに示しています。
始まりと終わり、二つの精神が向かい合う場所
システィーナ礼拝堂は、ルネサンス的な理性と調和の世界と、マニエリスム的な不安と緊張の世界が、ひとつの空間で向かい合う場所でもあります。天井に広がる《創世記》には、人間の可能性を信じ、世界を秩序あるものとして捉えようとした時代の楽観が残されています。それに対して正面の《最後の審判》は、その秩序が揺らぎ、救いの行方さえ定かではなくなった時代の不安を、ありのままに映し出しています。
ヴィア・ヴィア・フランチジェナを歩き終えた巡礼者は、この礼拝堂で「始まり」と「終わり」を同時に目にすることになります。ミケランジェロが描いたのは、カトリックの総本山としての信仰の完成を祝うための空間というよりも、一人ひとりが自分の人生と向き合うための場だったのかもしれません。システィーナ礼拝堂は、旅の終着点であると同時に、新たな問いが静かに始まる場所なのです。
文責/アドマーニ
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