旅人を癒すもてなしの町 サン・クイーリコ・ドルチャ

【第十七話】イタリア巡礼路を辿る†~魂を彩る神聖な旅~

イタリア中部、トスカーナ州のなだらかな丘陵地帯に、サン・クイーリコ・ドルチャという小さな町があります。人口2500人ほどの小さなこの町は、フィレンツェやシエナといった大都市の陰に隠れて、観光スポットとしてはあまり知られていませんが、そこにはたしかに大都市にはない豊かさがあります。
ヴィア・フランチェジナを巡る旅、今回はこの小さな町をご紹介します。

世界遺産オルチャ渓谷の中にある「人と自然が織りなす里山風景」

サン・クイーリコ・ドルチャは、ユネスコ世界遺産にも登録されているオルチャ渓谷(ヴァル・ドルチャ)に位置する町のひとつです。オルチャ渓谷は「絵画のように美しい風景」として知られていますが、この風景はもとからあったわけではありません。古くこの土地の多くは荒野や森林、湿地でした。そこを中世からルネサンス期にかけて少しずつ開墾し、未開の風景は現在の美しい田園風景へと変化していったのです。春には新緑に輝く麦畑、糸杉の並木、畑のパッチワーク。それはただの「渓谷美」ではなく、何世紀も前から人の営みによって形作られてきた、人と自然が調和してできあがった「里山の美しさ」というわけです。季節によって違ったカラーに映し出される田園風景は、思わず息をのむような光景です。

オルチャ渓谷

巡礼者のための静かな祈りの場「コッレジャータ教会」

さて、この町の起源は古代ローマ時代に遡りますが、現在の町並みの骨格を築いたのは中世時代。町の北側にはロマネスク様式のコッレジャータ教会が構えています。4世紀にわずか3歳で殉教したとされる聖クイーリコとその母ジュリエッタを祀るこの教会は、8~9世紀ごろ建設されましたが、現在のロマネスク様式の姿に再建されたのは12~13世紀のころです。質素なつくりではありますが、力強い石造りの外観はロマネスク様式のすばらしい例として、とても貴重なものであり、特にファサードの細部に施された彫刻は一見の価値があります。そしてそこから一歩中に入ると、ひんやりとした空気と静寂が広がり、観光客で賑わう都市部の聖堂と異なり、巡礼者へ静かで豊かな祈りの時間を提供してくれています。

コッレジャータ教会

ミケランジェロの弟子がつくった、美しき公共空間

コッレジャータ教会から町の中心に向かって歩くと美しいルネッサンス様式の庭園が現れます。この庭園「ホルティ・レオニーニ」は1581年頃、地元出身のディオメーデ・レオーニ(Diomede Leoni)によって設計されました。彼は旅を通じて多くの文化・芸術活動に触れた人物です。人生の多くをローマで送ったレオーニは、ミケランジェロとも親交があり、ミケランジェロの指導の元サン・ピエトロ大聖堂の建設にも関わりました。ローマから故郷にもどったレオーニは、その文化的知識を基に、当時の慣習である私的な庭園ではなく、巡礼者や旅人が休息できる公共の空間としてこの庭園を構想しました。現在もこの庭園は公共の庭園として一般に開放されており、年間を通じて様々な文化イベントが開催されています。

ミケランジェロの庭園

旅人の心と体を満たす、静かな巡礼の宿場町

町をぐるりと囲むのは、中世の城壁の名残。ヴィア・フランチェジナの要所としての面影を今も残します。通りを行くと、地元の人が営む小さなトラットリアやバール、工房などが旅人を迎えてくれます。いまや巡礼路は信仰のためのものだけではなく、トレッキングを楽しむために歩く人々も多いですが、この街は過度な観光化はせずいつの時代も静かに旅人をもてなしているようです。

それは食に関しても同様です。町のトラットリアでは、とりわけ目を引くような店舗や名物料理はなくとも、地元の畑で採れた野菜、手打ちのパスタ、自家製のオリーブオイルといった、素材そのものの味を生かした料理が出てきます。とりわけ「ピチ(pici)」という太めの手打ちパスタはこの地域独特のもので、トマトソースやペコリーノチーズとともに味わいます。旬の食材を活かした素朴な味わいは、やはり疲れた旅人の心と体を優しく労わってくれるようです。

サン・クイーリコ・ドルチャ・ドルチャは、見るための町というより、「感じるための町」と言えるでしょう。目立ったモニュメントや、名物はなくとも、教会も、庭園も、町も、食も、旅人たちを優しくでむかえてくれるのです。そして何より、壮大で美しい渓谷の風景がそこにはあります。それは、数世紀にわたり常に巡礼路の宿場町でありつづけるこの街の、なによりのもてなしです。この街を「通り過ぎる」人々は、知らず知らずのうちに「何か大切なものを受け取っていた」と気づくことになるでしょう。

文責/アドマーニ