
エミリア街道をゆく③イタリア国旗が生まれたレッジョ・エミリア
エミリア=ロマーニャ州を東西に走る、エミリア街道沿いの町のシリーズ第3回目は、レッジョ・エミリアを紹介します。ローマ時代に要所として栄えた後、西ローマ帝国滅亡後は衰退しますが、ロンゴバルド統治時代にレッジョ公国が成立。その後、他のエミリア・ロマーニャの町と同じくエステ家の統治下で発展します。あまり知られていないのは、ここレッジョ・エミリアが現在のイタリア国旗が生まれた町だと言うこと。時は1700年代末、ナポレオンがイタリアを統治下に置いた際、モデナ、フェッラーラ、ボローニャ、レッジョ・エミリアでチスパダーナ共和国が成立しました。1797年、レッジョ・エミリアの会議で赤白緑の帯に中央に戦勝記念章とその上に元になった4つの地方を現す4本の矢が入った箙を月桂冠で囲んだ紋章が置かれた国旗が制定されたのですが、それがイタリア国旗の起源とされています。現在でも市役所にあるその会議場は「三色の間」として保存され、公開されています。
市役所があるのは、町の中央にあるプランポリーニ広場。細長い広場では市役所のちょうど側に向かい3世紀建設のモンティ・ディ・ピエタ宮が、東側の中央にはドゥオモ(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)があります(TOP写真)。ドゥオモはファサードの下が大理石で上はレンガという未完成の独特の外観です。9世紀から建設が始まりますが、度重なる崩壊と改築が繰り返されたため、ロマネスクからマニエリスム、バロックまで様々な様式が混在しています。1599年に大改装された内部は、太い柱が並ぶ三身廊で重厚な雰囲気。いっぽう、地下礼拝堂は低く真っ白なヴォールト天井ですが一部、戦死者追悼礼拝堂には柱すぐ上の天井に淡いフレスコ画が描かれ、ひときわ美しい空間になっています。
ドゥオモの他にも町の聖人を祀るサン・スポルセロ教会や、豪華な内装のベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ギアーラ教会、現在はルーマニアの正教会となっているデル・クリスト教会なども。レンガ色の落ち着いた街並みはどこを歩いても素敵ですが、特に印象的だったのが木々が一定間隔で植えられたアントニオ・ファルネージ広場です。広場内には飲食店も多く、木陰にはたくさんの木製ベンチが置かれ、市民の憩いの場であることが分かります。
世界遺産の大聖堂を持つモデナと生ハムで有名なパルマの間に位置することもあり、観光的にはあまり知られていない町ですが、レッジョの名を冠した有名なものもたくさん。一つ目は「チーズの王様」と呼ばれるパルミジャーノ・レッジャーノで、パルマとレッジョのエリアで生産される長期間熟成のハードチーズです。町の飲食店や食材店で賞味・購入する他、見学とテイスティングができるチーズ工房を訪問するのもおススメ。巨大なチーズが縦横にずらりと並ぶ熟成庫は圧巻です!
他にも「レッジョ・エミリア・アプローチ」と呼ばれる独自の幼児教育哲学は世界145国で導入され、教育機関の視察のために世界からこの町を訪れる人がやみません。またスペインの世界的な建築家サンティアゴ・カラトヴァ設計で、2013年に運用開始した高速列車専用 Reggio Emilia AV駅は新しいレッジョ・エミリアの顔。1m間隔に並べられた457本の白い棒が波打つ外観は、列車で通過するときはもちろん、並行して走る高速道路からも人目で分かるほどの独創的なデザインになっています。ただしこちらの駅から旧市街までは4キロも離れているので、旧市街観光では Reggio Emilia駅を使うようにプランニングしてくださいね。
日伊通訳・コーディネイター。2001年にフィレンツェ留学、結婚ののち、2005年よりトスカーナ北部の田舎に在住。トスカーナの小さな村、郷土料理やお祭り、料理教室などのプログラムを紹介するサイト「トスカーナ自由自在」を運営。著書に「イタリアの美しい村を歩く」、「イタリア流。世界一、人生を楽しそうに生きている人たちの流儀」など。